図書館で、正高信男の「他人を許せないサル」が、なんとなく目について、借りた。世間ではいろいろ酷評を浴びているようだが、彼の指摘には、思い当たる節が有る事も確か。だから、反論も多いのか?
それこそ、直接に会ってみないと人物像が判断できない。ネットが、世間が、信じられない分。
データで証明するような姿勢もなく、きわめて主観的な論理展開だが、素直に「そうだよね。」と、同感できる部分もある。だから、いろんな出版社から似たようなテーマで本をだせるんだろう。
一方、ネットは、物事の本質を明らかにする能力に長けているとおもう。
本質で勝負!なので、同じ土俵で、2者が競い合いあっても勝負はすぐつき、市場代表者とその他大勢しかいない。ネットそのものは、なんなんのか?悩んでいたけど、「世間」という日本語が当てはまるとは考えていなかった。
ネットについては、明るい技術的な未来像だけを想像してきたけど、その技術を使っているのが、所詮、サルから3000万年くらいにわかれた動物、しかも、本質はなにもかわっていない動物、である以上、陰の姿にも注意するしかないんだろう。
と書いている、このエントリ以外、だれが読む事になろうとも、責任をとる事になる。
他人を許せないサル?
コメント
“他人を許せないサル?” への2件のフィードバック
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こんばんは。
アマゾンのレビューも軒並み評価低いですね。。。
読んでないのでコメントは差し控えますが、
裏づけが無いものがNGならば、クチコミを信用して人がモノを買うならば、NGな本ですね。集合知と言われて久しく、ある母集団の人たちが言っていることがほぼ正しいと言われて、多数決的なコメントしか上には来なくなるのが今のGoogle。極端な言い方だけれども。。
それでいいのだろうか。人が思うところってもっといろんなバリエーションがあるんじゃないかと思う今日この頃。
ブログへのコメントとは離れちゃいましたがご容赦。
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確かに、Google検索結果で上位にあがってくる内容を真実と信じてしまう、自分にときどきドキッとします。
いつのまにかながものに流されている自分であることに気がついてしまうこと、暫し。
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