うちの子どもが10歳近くになってきて、家族でトランプの神経衰弱をする機会が増えてきた。
我が家の神経衰弱は、ローカルルールを一つ追加している。同じ数字と同じ色でなければ、「あたり」とみとめないのだ。スペードのAとクローバのAならばいいが、ハートのAはだめなのだ。
という私自身結構負けてしまう。子どもの記憶力とはたいしたもの。
ただ、この神経衰弱をやっている時に、ふと考えた。
神経衰弱のルールを知らない人が、神経衰弱ゲームをやっている様子を見ているとどう思うのだろう。
どうも、このゲーム、カードの数の大きい小さいには意味がなく、このカードとあのカードにはあるルールの関連性があり、こことそこに位置していることを知っていることに大きな価値、情報があるゲームのようだ。と、想像するのではないか?
つまり、データ自体に意味があるのではなく、データとデータの関係にこそ情報の価値がある、情報量が多いの事なのだろう。これって、けっこう普遍的な話ではないか。
なーんて、話は、どこぞの大学の先生が、どこかの講義で使っているネタだような。。。。
と、ぼーっとしているうちに、子どもにまた、カードをもっていかれてしまった。。。。
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