
Beacon Hills,ここはマサチューセッツ州議事堂の裏。自動車が行き交うボストンコモン、パブリックガーデンを過ぎ、チャールズ通りをのぼりArcorn Streetに到着しました。ここは静かな高級住宅街。ボストン出身の建築家チャールズ・ブルフィンチがロンドンのロウハウスをモデルに計画した街。赤レンガと石タタミが落ち着いた雰囲気をあたえていました。

どの家も玄関の前にお花が飾られて美観を統一されていました。

ガス灯が並び、日が沈むとともに、ともしび、がいい趣を与えていました。

とっても素敵な空間です。建国当時のボストンの街並みが偲ばれました。
ブラーミンということばご存じですか?ホワイト・アングロサクソン・プロテスタントWASP(White Anglo-Saxon Protestant)という概念かもしれないけど、ボストンに初期に入植していたアングロサクソン人から構成される超セレブ、上流階級の人たちのことです。
ボストン在住の人、ボストニアンであれば、Last Nameを聞いただけで、ああ、この人は、ブラーミンかもしれないとわかるそうです。そのブラーミンがかってたくさん住んでいたのがこのBeacon hills。
しかも南斜面のみがブラーミンのつかっていた斜面。北斜面は、First Moneyと呼ばれてブラーミンになりきれなかった成金や黒人がすんでいるそうです。
21世紀の現在、このBeacon hillsの住人は、そのブラーミンの末裔か、よほどの物好。本当のブラーミンは、ボストンダウンタウンを離れ、ノースショアの避暑地に逃れている人が多いそうです。
「ローウェル家はキャボット家とのみ話をし、キャボット家は神とのみ話をする」とか、限られた狭い社交の中で生まれ、育ち、死んでいくのが、このブラーミンの人たち。ハーバード大学もそんなかれらの為に設立された大学だったそうです。しかし、20世紀以降、アメリカ社会も変化していき、ブラーミンの末裔の一部は目覚めこの弊社会から出ていった人たちもいるとか。しかし、いまだに、家族のつながりを大切にするらしいです。日本人、ここまでは入り込んで行けません。
かたや、ボストンの南部には1840年頃にアイルランドから移住してきた人がたくさん住んでいるサウシーという南部の地域もあるそうです。そこはアイルランド系の人たちだけでくらしている、こちらも閉社会。
聖パトリック祭というお祭りが毎年3月に開催されるそうです。そのときには、サウシーから全米に散らばった親族がもどってきて、自分がアイルランド人であることを確認するそうです。
アメリカは「人種のるつぼ」というけれど、それほど、人は混じりあっていないのではないか?
と、思いました。きっと、ボストンの街の中でも人種によって、交わる空間がことなるんでしょうね。
参考
■アフター・アメリカ ボストニアンの軌跡と<文化の政治学> 渡辺 靖 慶應義塾大学出版会
■ボストン建築探訪 小林正美 丸善株式会社
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