感染地図
スティーブン・ジョンソン【著】
河出書房新社
久しぶりにとてもおもしろい本だった。
先日、読んだローリー・ギャレット書書「崩壊の予兆」(河出書房新社)のなかで紹介していたので、近所の図書館から借りたわけだが。
読み始めると、私は、ビクトリア時代のロンドンに立っていた。時は、1854年8月31日(金)。場所は、ロンドン、ブロード・ストリートにあるゴールデンスクエアのポンプ前。
近所の家から、誰かの母親と思われる婦人が出てきた。彼女は、家の近所の汚物溜めに、病気になった、自分の赤ん坊が吐出したモノを捨てた。そして、吐出物で汚れた、赤ん坊の衣服をポンプ場のそばの洗い場であらい、水を捨てた。
これが、すべての始まり。
この日以降、ゴールデンスクエアの周辺で大量の人が亡くなる。いまで言えば、集団コレラ感染が発生したのだった。いわゆる、ブロード・ストリートのコレラの大発生。この事件の解決のために用いられた手法から、「現代疫学」という学問が始まり、新型コロナウイルス感染まで、脈々と続いている。
当時の人たちには、十分な医学的知識もなく、というか、医学そのものが、科学的根拠にたったものでなく、民間療法に近かった時代。集団死亡の原因、その対処について、当時の人たちは、まったく、わからなかった。新たな病魔について、まったく、わからないという状況では、今回の新型コロナウイルス感染も同じ状況とおもう。
当時のロンドンは、不潔空間。産業革命を経験し、1851年にロンドン国際博覧会も開催され、上下水道も整備が始まったが、人口が急激に集中。人による都市活動の結果によって発生する汚物の処理サイクルがまったく、間に合わなくなった。結果、汚物が、道ばたに残り、耐えがたいにおいだった。ビクトリア時代のロンドン、最低だったろう。
ゆえに、様々な病気の原因は、そこから発生する瘴気(Miasma,マイアズマ)だとする考え方が主流だった。不潔な所には、細菌、ウイルスが多いことは事実だから、間違ってはいないが、すべての原因ではなかった。
当時、さまざまな人たちが、この病気と闘っていた。
英国社会改革者であり、下水道整備を進めたい公衆街生局のエドウイン・チャドウイック(1800-1890)は、瘴気の発生が原因と決めつけ、首都下水道委員会のエドムント・クーパーに調査を指示し、下水道原因説を主張する。
統計家ウイリアム・ファー(1807 – 1883) は、ロンドンの他の地域でも同時多発していたコレラの感染状況、これらによる死亡報告をまとめ、公開していた。
近代看護法を確立した、フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910) は、前年の1853年、ハーリーストリートに”婦人家庭教師のための診療所(the Institute for the Care of Sick Gentlewomen)”を設立し活動を開始。8月は実家のリーハースト荘で休暇中だった。コレラ感染の拡大を聞き、休暇を切り上げ、ミドルセックス病院(Middlesex Hospital)で対応。9月上旬の短期間、ミドルセックス病院において、コレラの大発生に伴って運び込まれる患者の看護を監督していた。エリザベス・ギャスケルからの手紙によると、「ナイチンゲールは、金曜日の午後(9月1日)から日曜日の午後まで、昼も夜も、常に運び込まれる貧しい人々(特に娼婦たち(fallen women) に被害が多かった)の看護を引き受け、彼ら彼女らの服を脱がし、テレビン油の温湿布を当てるなど、できる限り多くの患者に対して処置を行なった」 Florence Nightingale, 1820-1856, A Study of Her Life Down to the End of the Crimean War. London: Thornton Butterworth. p. 208。この光景が、21世紀現代、新型コロナに対応している医療現場の様子と重なる。翌10月、ナイチンゲールは、クリミア戦争に出発した。
ロンドンの開業医ジョン・スノー(1813-1858)は、ファーの死亡報告を使い、死亡者の感染場所、感染日時を分析した。その結果、瘴気説を否定。ブロード・ストリートの飲料水に原因があると判断した。飲料水の利用を止めるには、ブロード・ストリートのポンプの閉鎖を、セント・ジェームス教区委員会に提案した。
ブロード・ストリート担当の教会関係者であるセント・ルークス教会の副牧師ヘンリー・ホワイトヘッド (1825-1896) は、教区内の一人一人と、コミュニケーションし、ブロード・ストリートの状況をミクロに熟知していた。スノーの唱えるポンプ説が実情に合っていると認識。当初、スノーの主張に懐疑的だったが、以降は、スノー支援派にまわり、スノーと深い友情を結ぶ。
ブロード・ストリート担当を管轄するセント・ジェームス教区委員会、実質、当時の自治体は、スノーの論拠が腑に落ち、教区の実情を最も知る、ホワイトヘッドからの推薦もあり、ポンプの閉鎖を決定。この閉鎖後、感染が終息していった。
後日、測量士のヨークが、赤ん坊の汚物を捨てた汚物溜めと、ポンプの間の土壌状態を調査したところ、汚物溜めと、ポンプが汲み取る水源が、非常に近い距離にあったこと、その間の土壌状態が軟弱だったために、汚物溜めの内容物が水源に浸出できる状況であったことが判明した・
ホワイトヘッドとスノーの関係は、素人と専門家の共創活動。この活動が事件を解決したのだと思う。素人であるホワイトヘッドには、地元に関するミクロな知識が豊富にあった。専門家であるスノーは、 開業医、地図制作者、発明家、科学者、人口統計学者、探偵の役割を演じ、学際を自由に飛ぶとともに、物事を分析する視点を以下のようにもスケールイン。スケールアウトできる人物だった。スノウとのホワイトヘッドの作業が、人口統計の研究を科学的観察と組み合わせるという、疫学の研究における重要な先例を作った。
また、逆説的だが、様々な人間が集中する「都市」こそが、さまざまな形の知識を小さな空間に閉じ込め、分野を終えた流動を起こした。その結果が、解決に結びついた。アフタ・コロナ時代の新しい生活様式として、都市から地方への分散が提唱されているが、都市の魅力は、強烈。都市集中は、アフタコロナの時代も継続するはず。
ジェイン・ジェイコブズ「アメリカ大都市の死と生」をふりかえり、都市生活者としてアフタ・コロナ時代の都市計画論も極めてみたい。いや、いまさら、疫学を極めるか?ならば、スノーの業績を理解すべきだろう。いやいや、スノーが開拓したボノイド図が、新型コロナ感染分析に有用なはず。
関心空間が、急速に拡大した。

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