これがPhillip Ball三部作の最終作。
雪の結晶はなぜ必ず角が6つなのか。ガラスの割れ目の成長、木の枝の育ち方、山肌の浸食の進展、川筋の成長など、生物にも無生物にも、分かれるだけで得も言われぬ美しさや不思議さ、面白さをがあり、パターンを感じ、観る者の心に「なにかがおなじなのではないかという期待」を呼び起こす。
ただ、筆者はパターンが同じだから、パターンが生成されるロジックまでが同じであると、単純にみなすことについては警告している。
アンバランスのなかにバランスが生まれるとき、ある種のパターンが生まれることは事実らしい。
ただ、どの論理が展開されるかは一元的ではない。
パターンがうまれるのは、生物が関与しない自然現象のみでなく、生物の関与する酵素代謝ネットワークのれべるから、アリや鉢などの社会的行動を行う生き物たち、そして、人間の社会的活動、経済的活動にもみられる。
だから、パターンの話しをするときには、物理学者、生物学者、社会学者、経済学者が同じ言葉でパターンについて話しが出来ることがおもしろい。この現代においては、すべての分野が細分化し専門化し、他の分野の人たちとは会話すら成立しない事がおおいが、このパターンに関することについては、一緒に話しができる気がする。ある意味で、万物の理論を手に入れようとしているのではないだろうか?
なぜ、なぜ、なぜと掘り下げていく19世紀の学問だけでなく、the way you are,あるがままの姿を捕らえ、その振る舞いを、パターンを見いだし、全体像から、未来を予測し、対応するスタイルを確立できないだろうか?
いわしの群れの中の一匹、一匹の行動を調べてみても、群れ全体がどこに行くのか、わからないのと同じように。
そういうことに気づかせてくれた三部作でした。
エピローグに、今後どのように、この分野を深耕すればいいか記載されていたので、少し自分なりに整理し、今後の参考にしたいとおもいます。
自分自身、Social Network分析から、ここまで、長い道のりでしたが、ようやく、体系的に捉える道筋、その適用できる範囲が見えてきた気がします。社会人になる前に気がついていれば、また、別の人生が開けていたかも知れません。
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