
今年は年初からトラブル続きでツキにみはなされています。
2月1日朝、MacBookをイスから床に落としてしまいました。30センチくらいの高さからの落下でした。その結果、みごとにDisplayに異常が起こり始めました。
ヒンジに下の部分に数本の線が入り、右端1センチくらいは完全に写らなくなりました。
渋谷のAppleStoreのGenuis Barにもっていったところ、ディスプレイ装置自身の交換を提案されました。AppleCareに入っていたので、その適用範囲かとたかをくくっていらところ、さにあらず。
「お客様のMacBookは確かにAppleCareがありますけど、でもアクシデントによるダメージは保証されないんですよ。」
えーーーーーーーーー!!!
適用外ということで修理費に4万円くらいかかりました。しかも、その場で修理が完了するものと思っていましたが、さにあらず。部材を米国から取り寄せないといけないということで、部材到着まで10日以上、部材到着後数日かかると説明を受けました。そして、先週。部材到着の案内をメールでいただき、MacBookをAppleStoreにあずけ、数日。ようやく、昨日、ここに完全復活したdisplayを使っています。
その間、壊れたディスプレイを見ながら、MacBookを使う日々は、自分への戒め異常の何者でもありませんでした。高価な商品をゾンザイにあつかってきた私が悪いのです。ものを大切に扱う心がどこかにいってしまっていたのです。ここまで21日。長い後悔の日々でした。Retina Displayが綺麗なだけに、画面の一部が欠損することは耐えがたい日々でした。
とほほほ。。。。
Genius Barには計3回お邪魔しました。こんな形でGenius Barにお邪魔するとは思いませんでしたが、Genius Barがどういう所か、どんな事を会話しているのか、どのようなプロセスで修理を進めていくのか、とてもおもしろかったです。そしてアップルの方々の対応もよく、Genius Barで働きたくなりました。
投稿者: howdi
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MacBook退院!
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snow_of_feb2014

昨日は首都圏では20年ぶりの2月の積雪。ふりましたね。
昨晩、雪の中を歩いて帰っている道すがら、雪明かりを感じました。ほのかに周りがあかるいのです。すると、昔の記憶が戻ってきていました。人間の記憶は肌の温感、耳の聴覚、足の触覚、目の視覚だけでも、思い出すことができるも\\
のなんですね。
一夜明け、ウチの庭にも20センチくらいの積雪がありました。でも、その下には、ビオラがこんな雪になんか、負けるものか!、と、がんばっていました。
がんばれー!!
春はすぐそこだ!!
いのちの営み、春の訪れを確実に感じました。
確かに立春も過ぎていますね。 -
Happy Birthday,Mac

30年前、1984年1月24日にアップルのMacintoshが世に出たそうです。
AppleのサイトもMac誕生30周年を記念した特別ページになっているようです。

Wiredに当時取材した記者の方からの投稿記事がありました。
Jobsもわかかったですね。
私が初めて、Macintoshにあったのは大学3年生の時、1984年の夏。
学部の物理実験、確かX線解析の実験レポートを説明するために、同期の実験チーム数名と渡辺研のセミナールームに入ったとき、当時、助手だった先生が米国ブルックヘブン国立研究所から帰ってきたばかりで、米国で買ってきたMacintoshを見せてくれた時でした。
そのとき、みんな声を上げて驚いたのを思い出しました。
インターネットなんかはなかったけど、Macinotoshの存在は何故か知っていました。でも、初めて本物をみて驚きました。当時、コンピュータを使うとなると大学内で共同利用している計算機センターの建物の中に入りTSS室に並んでいる、TSS端末を使うしかなかったものです。そのTSS端末も一行一行、テキストベースで入力し、これまた、一行一行、テキストで結果が帰ってくるものでした。
FORTRANでしたね。当時、C言語すら存在していませんでした。
その中、白いビットマップディスプレイに表示される綺麗なフォント、マウスという名のポインティングデバイス、フロッピーディスクを吐き出す時の音、スイッチを入れて、響くワクワクするような起動音。なにもかもが驚きでした。
それから、ずっとMacといっしょ。Classic,PowerMac-G3,PowerBookG4,MacBook,MacBookProとつきあっていきました。いま、Blogを書いているこれもMacです。
最初につきあったOSは漢字Talk7。すぐハングアップ。あーまた、と笑いながら、一晩に何回も再起動を繰り返していました。今のOSX10.9では、ハングアップしようものなら、目をつり上げた人たちがTwitterなどのソーシャルメディアで罵声の嵐の書き込みですからね、時代もかわりました。
いまちょうど、Steve Jobsの伝記を読んできますが、これも何かのご縁かもしれませんね。
30年も製造ラインとして続いている製品はITではめずらしいですよね。
それだけ、30年前は「画期的」という言葉そのもののマシンでした。Macは。
それは、姿形を変えても今も変わらず、一番やりたいことを素直に実現してくれるマシン。
ずっと、そばにいてください。。。。

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D・ソローのような生活。。。

「森の生活」で有名なソローですが、近所の図書館でたまたま別の本を見つけました。
森を読む―種子の翼に乗って (アメリカン・ネーチャー・ライブラリー)
ヘンリーDソロー(著)
伊藤詔子 (翻訳)
彼の住まいがあったマサチューセッツ州の森でみつけた、マツやニレややなぎなどの木々の種子が生まれた親の木から遠くに旅に出る過程を丁寧に語る物語が続きます。あるときは風にのり、あるときはリスに運んでもらい、
あるときは雪の上を滑っていく、木々の種子達の冒険の物語がありました。
読んでいると森の松が風でそよぐ音や、リスが木々の間から顔を出す様子が目に浮かびました。日々、都会で人の声ばかり聞いていますが、田舎出身の自分の耳は、風の音、土の匂いの方が好きです。こういう時間の使いかたができる生活がしたいなあ。 -
Apple vs Google

書名:アップルvs.グーグル: どちらが世界を支配するのか
著者名:フレッド・ボーゲルスタイン/著 依田卓巳/訳
出版社:新潮社
出版年月: 2013.12
年末年始、この本を読んでいます。
日頃、AppleもGoogleも非常にお世話になっている会社です。
今使っているこのPCもMacだし、Gmap,GmailそしてスマホはAndroid.
Adroidなしでは日々の生活も考えられなくなってきました。
iphoneそしてAndroidというSmart Mobile Deviceという製品カテゴリを創造したAppleとGoogle.その両者がDogFightというべき消耗戦を繰り広げていることをこの本で生々しく感じました。特に超短期で開発しリリースを迎えたiPhoneとAndroidのバトルはすさまじいです。社内の政治抗争もすさまじく、Apple,Googleともすでに開発者の楽園という所ではなく、実ビジネスが繰り広げられているアメリカ文化をベースとした国際企業であることがひしひしと伝わってきました。まるでマイクロソフトや日本の企業ともかわらない嫌らしい闘争が展開されていたようです。
Appleの方はGoogleをぶっ潰すという意識から目に余る行動を展開している一方、Googleの方はスマートフォンメーカーと通信事業者を上手に取り込みAndroid生態系というものを気づきつつApple/iphoneを戦略的に囲い込んでいると感じました。そうAppleはClose指向。俺様の生み出す製品、俺様がえらんだAppStore上のアプリが世界でぶっちぎりCoolな製品なんだから、おまえらは俺を盲進していればいいんだという考え方。きわめて20世紀的なメーカーモデル。じつはBIなのか?
通りでこのMacは、普通のドライバーでふたを開けることも、メモリを交換することもできなくなったし、Maverickになって管理者むけ機能が奥底に沈んでいったわけです。MacがBSDをベースにしたDarwinで動いていること自体へんな気がし始めて居ています。
一方、GoogleはOpen指向。Androidという基本的なプラットフォームは無償で端末メーカーに提供するいっぽう、AndroidMarketに育つアプリにGoogleは極力干渉しない姿勢。Andoroid、クラウドで取り交わされるデータ自体の価値をビジネスに展開していくモデル。こちらがAIなのか?
最終勝者がすべてを奪っていくPlatfromBusinessの恐ろしさをApple・Googleともに知っているからなのでしょうか?双方との西海岸の会社なのでApple/Googleに勤めた経歴のある人たちはたくさんいることでしょう。一時はJobsもShumitも街角のCafeでカジュアルに会話する中だったのに、JobsはShumitをののしりあうところまで来てしまっていました。
なぜ、Apple/Gooleともiphone/Androidというデバイスを生み出したのか?その徹底的な分析がおもしろそうです。
この本、Must readです。おもしろいです。

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The Principles of AI

年末に入り会社の中期計画も形がみえたころ、組織の全体集会がありました。その中、顧問のかたから、現在MITメディアラボの所長をされている伊藤穰一さんが今年の10月に来日された際、六本木ヒルズのAcademyHillsにて実施したプレゼン”The Principles of AI(After Internet)”の内容を紹介いただきました。
以下のような言葉です。
■Resilience over strength
未来予測が当たらない社会では、何かが起きたときに俊敏かつ柔軟に対応できる力を備えておくことが重要になります。変化を無理に抑えつけたり、変化に対して抗ったりする強さよりも、変化を受け入れ、そこからしなやかに跳ね返っていく力が求められるのです。
■Pull over push
AIの時代は、把握しなければならない範囲が広大で、状況も絶え間なく変化しているため、従来のように中央集権型で物事を管理するのは不可能です。従って、必要に応じて広大なネットワークからものや情報を引っ張り出してくるという、分散型のアプローチが重要になります。
■Risk over safety
リスクを予測することは重要ですが、現代においてすべてのリスクを把握し、除外することは困難です。リスクを恐れていては何も生まれません。リスクを承知で冒険する、まずは挑戦してみる。その気概を持ち続けることが重要になります。
■Systems over objects
個に集中するのではなく、あらゆるものをシステムで考えなければなりません。関係や結合を考えたり、バラバラなものの中に共通項を見いだしたりしながら、新しい価値を生み出す。さらに言えば、日本だけに固執するのではなく、世界規模で物事を考えることも大切です。
■Compass over maps
複雑かつスピードの速い世界では、すぐに書き換わってしまう地図を持つよりも、優れたコンパスを持つことが大切です。強い企業はすでにコンパスを持ち、現場で素早く物事を決めていますが、多くの日本企業はいまだに地図を作るために膨大な時間とコストをかけています。見通せない未来という地図を懸命に描こうとしているのです。
■Practice over theory
理論的には不可能なことでも、なぜか可能になってしまうことがある。それがAIの時代です。だからこそ、とりあえず動いてみて、プロセスの中で仮説・検証を繰り返していく。大切なのは理論を知っていることではなく、実際に機能することなのです。
■Disobedience over compliance
多くの学校・企業では指示通りに動くことを賞賛しますが、そこに学びは生まれません。現代において大切なのは、フラットな視点で権威を疑い、本質を考えていくこと。それがイノベーションの原動力にもなるのです。従順よりも小さな反抗を賞賛するべきなのです。
■Emergence over authority
AIの時代は、社会的に認められた権威・権力よりも、現場や市井の人々の間から生まれてくる新しい変化、つまり「創発」が重要になります。10代の起業家が続々と生まれているように、大人よりも子どものほうが大量の情報を素早く見つけ出し、思いがけない発想を生み出しています。注視すべきはトップダウンではなく、ボトムアップなのです。
■Learning over education
学びは自発的なもの、教育は与えられるものであり、本来は性質が異なります。しかし、私たちの中には依然として「教育システムがないと、学びは生まれない」という意識があります。教育システムに拠らなくても学びを生むことが可能な時代は、すでにやってきています。大切なのは「何を学ぶのか」ではなく、「どのように学ぶのか」なのです。
わたしの今の信条は伊藤さんが指摘するAIそのもの合致しています。しかし、自分の会社のなかは完全にBI,Before Internet。AIとは180°、ちがう空気が流れています。とっても、ストレスがたまります。
しかし、私の世代はBI生まれのAI育ち。どこかに、BI世代のいっていることに盲従してしまうところがあります。きっと、幕末に生まれ維新を経験し、明治を切り開いてきた世代の人たちの気持ちって、こういう気持ちなんでしょうね。三つ子の魂、100まで。子供のころしつけられた観念、価値観をすべて捨て去り新たな価値観を創造し、それに従うこと。理性的にはわかっていても、心情的には動けないところがのこります。。。。
AIネイティブがうらやましい。。。。 -
Macportsの出番でした。。。

OSXをMavericksに上げてから上手く動かなくなったImageMagick.
これまでほっておきましたが、今日は時間がとれたのので解決に向け、頑張ってみました。
こういうときこそ、まず、ソースから始めよ。
./configure&make&sudo make installと呪文をとなえても、うまくいかず、convertコマンドがエラーメッセージとともに戻ってしまいます。
困った!!
藁にもすがる気持ちでMacportsでImageMagickをinstallしてみました。
install中、ImageMagickに必要な他のソフトもインストールされていきました。
だいぶいろんなソフトの依存関係にあるようです。
これだけを自分一人で、./conifgure makeで解決するのは困難です。
個人で調べる時間もないでしょうし、整合性をテストする時間もないでしょう。
OSS同士が複雑に依存し合っていて、スパゲッティー上になっているため、
もう、個々のOSSをソースからbuildしようとしても難しい状況になっているようです。
OSSの場合、OSS間の依存関係を管理してくれるportsのようなものをつかって行かないと活用できないようです。OSSビジネスの生きる道、ここにありそうです。
ありがとう,Portsさん!! -
ココログ10周年おめでとう

このCocologも開始して10年になりますか。
わたしもはじめのころからお世話になっているので、このStep2も10年になりますね。
ずいぶんお世話になっています。
blog自体が商売になるのか?そんな不純な動機ではじめたblogでした。
RSSをはじめとするFeedの文化に気づき、いままで、Webサイトを一つ一つ、ネットサーフィンするだけでは、知り得なかった世界を経験することができました。
自分で情報発信することの大切さに気づかせてくれたのもこのblogでした。
決して、とてつもないアクセス数があるコンテンツでないですが、
読んでもらった感想をいただくときには、書き続けてきて、
よかったと思いました。
また、自分自身にとっても、未来の自分への手紙という気持ちで日々の出来事を伝える機会でした。情報を消費するだけでなく、生み出す立場に立つと見えてこなかった、視点、観点に気がついたこともありました。
これからも、このBlogでの活動を続けていきます。
よろしくお願いします。 -
2013年のAppleさん。。。

AppleのPowerBookを新しくし、OSXもMaverickに上げました。
居心地がなにかこれまでと違います。
いまでは、Appleも昔のような自由闊達な西海岸のStartupでなく、
米国のEstablishedな企業のニオイがし始めてきています。
その理由を少し考えてみたいと思います。
まず、Finder。
Findeにローカルハードディスクのアイコンが表示されませんでした。
Windowsの世界であればC:が表示されないのはあたりまえだけど、
Macはユーザの力量を信じて、ローカルハードディスクへのアクセスもほぼ可能にしていたはず。
確かにFinderの環境設定を変更すればいいことでしたけど、
これは大きな驚き。
Appleにバカにされているように感じました。
つぎに、OSSとの距離感
gccがインストールされていませんでした。
Xcodeに入っているので、
それは当たり前だとすぐ気がついたのでこれはしかたのないこと。
でもgccが入っていないと言うことはOSSを拒否している姿勢に感じました。
そういえばantもインストールされていませんでしたね。
これまで自分でインストールした記憶がございませんでした。
そして、Java
Javaがインストールされていませんでした。
たった、java -version
が動かなかったときにはショック。
最後に、X11
imagemagickが動かないです。
X11のlibraryをつかっているようなのですが、
X11もMaverickからAppleはサポートしなくなり、
デフォルトではMacにインストールされなくなりました。
いまだに動きません。
なんか、自分の家が誰かにかき回された不快感を感じました。
でも、さすがと思うこともありました。
この新MacBook,音が良いんですよ。
これまでのMacbookの内蔵スピーカーから出てくる音って、
いかにもでした。
だけど、この新MacBookのスピーカーからはなかなか
いい音が聞こえてきます。
いいです。気に入りました。
いち、私企業にソフトウエアは所詮コントロールすることは
むずかしいけど、ハードだったらコントロールできる
ということなんですかね? -
なめらかな社会とその敵
最近読んだ本。
なめらかな社会とその敵
鈴木健(著)
勁草書房
久しぶりに心にしみこむ本に会いました。
世の中、右左、いいわるい、上下と、二元論がベースだけど、
もう一度、見直してみたくなりました。
0.3だけ右、0.7だけ左
があってもいいのでは?
いや、むしろそれが、素直?
人はatomという意味で、「個人」という概念にひきずられ、
すべての物事をすべて離散的に決める社会が20世紀の限界なのか?
ソーシャルネットワーク化が進んだのは、FaceBookが現れたからではなく、
むしろ時代の当然の帰結ではなかったのか?
バラバジらが指摘したネットワーク思考指向は、むしろ、社会構造の変革の
自然の流れなのか?
どこまでが自分で、どこからは自分でないのか?
そんなこと、いろいろ考えさせながら読み進んでいきました。
社会制度の基礎である、貨幣、選挙、契約といった概念を見直し
なにも物理法則のようにきまりきったものでなく、人間が作り出してきた
制度の中の一つ出ないと、気づかせてくれました。
まだまだ、いろんな社会構造があって良いことに気がついたのもこの本の収穫。
しかし、国家レベルで、著者の指摘している制度変革は憲法改定まで進むため、現実的ではないでしょう。
もっと、小さなコミュニティーで実験を積み重ねつつ制度の限界を検証し改善することが必要と思いました。それこそ、インターネット上のソーシャルネットワークサービスむけなのですかね?はじめに採用するのは、ゲームの世界かもしれません。
ゆえに、大仰しい表現が時々みられ、青臭さを感じるこの本の中で語られていることが、現実の社会制度に組み入れられるのはまだまだ先でしょう。でも、今の社会制度がGivenではなく、Ceate&Modifyしていくものであることに気がつかせてくれた事に感謝したい。
と、ここまでの文をRPC::XMLで投稿するtperl-toolも移行完。
残すは、ImageMagick、これが強敵そう。。。