投稿者: howdi

  • 巴里見聞録(その51)

    Img_1339
    Passage JouffroyPassage des PanoramasGalerie Vivienneと、三本のパサージュを体験しました。パサージュの中にはいると、なんか空気が淀み、時間がとまっているような感覚とともに、どこか遠い過去にタイムトラベルした感覚になりました。そんな感覚を感じるのは私だけではないようです。
    鹿島茂さんの「パリのパサージュ―過ぎ去った夢の痕跡」という本を読み、パサージュについて教えてもらいました。パサージュ、フランス語での正式な名称は「Passage couverts(ガラスで覆われたパサージュ)」。パリに現存しているPassageは19あります。
    19.Arcades des Champs Elysees
    古いモノは1800年の開設。そのころ日本は、江戸時代。東海道中膝栗毛が出版された前後。かたや、巴里は、産業革命の洗礼を受け、いろんな思惑をもった人たちによって、鉄とガラスでできたパサージュの建設が始まった。しかし、オスマンのパリ大改造によって、乗合馬車から鉄道、パサージュから百貨店への、人の流れの変化とともに忘れられていき、33年前、1982年にベンヤミンの「パサージュ論」出版によって、21世紀によみがえってきた。
    1927にドイツからパリに来ていたヴァルター・ベンヤミン。ベンヤミンは、まだ残っていたパリのパサージュを歩き廻り、国立図書館で古い資料を漁って、近代社会のすべての思想的潮流はパサージュの建設に始まることを証明する大作「パサージュ論」のためのノートをとり続けた。この走行は、ナチスに追われたベンヤミンの自死(1940)により盟友ジョルジュ・バタイユの手で国立図書館に隠された後、戦後に発見されて、親友のアドルノのもとに送られ、1982年に至って、ようやくズールカンプ社から刊行されることになる。(引用:鹿島茂・パリのパッサージュ)
    Passageが多く存在する、2区、3区は、Saint Germain D’Présとは違った雰囲気を感し。オスマンがパリを大改造する以前、中世以来そのままのパリが眠っていて、どうもなにか、違う地霊(ゲニウス・ロキ)が住み着いている気がしました。
  • 巴里見聞録(その50)

    次に目指したPassage Galerie Vivienneです。
    Img_1335
    ここ、旧パリ証券取引所・Bourse des Valeuretは、旧サン=トマ女子修道院(ドミニコ会)跡地。のちに、王党派が本拠としていた土地。ここに、ロー銀行、マザラン邸と移ってきた証券取引所が落ち着き、そして今はデファンス地区に移っていた。
    2018092514
    そんな歴史を横目に、Ru de Vivienneをまっすぐ歩きました。
    Rue du Quatre Septembreを渡り、ようやく、Passage Gallary Vivienneに到着。この入り口、いわゆる裏口のようです。
    Img_1338
    このPassageは足下のタイルがきれいなんだと聞いていたので、下を見てみました。確かに、素晴らしく巧みな古代ローマ風のモザイクタイル。G・ファッチーナ(Giandomenico Facchina)の作。
    Img_1340
    一部は修繕中のようで足場が組まれていました。そこの前に、フランス老婦人の方々の集団、ガイドさんの話を熱心に聞かれていました。ご婦人方の横を、Pardonといって、通らせていただき、先に進みました。
    Img_1342
    すると、むむむ、面白そうな雑貨屋「aBis」さんを見つけました。
    娘さんは、この店で、狙っていた金の雪が舞うエッフェル塔が入っているガラスドームを見つけました。ドアが閉まっていたのですが、”何かあったら横のベルでお知らせください”と書いてある手書きを読んで、横にあったベルを鳴らしたら、店の二階から店員さんが降りてきました。
    2019092515
    ■aBis
    24 Galerie Vivienne – 75002 PARIS
    Téléphone : 01 42 96 54 76
    Email : abis212@orange.fr
    Site web : abis.magasins-paris.com
    この店員さん、映画ハリーポッターのトレローニー先生のような雰囲気の方。無論、髪型は全く違うのですが。
    Img_1344
    お店の中も、面白いモノでいっぱい。夢のような空間です。外では、地元の小学生が、店の前にたくさん集まってきて、店の人に手を振っていました。店員さん曰く、いつもお店に来てくれる子達なのだとか。
    Img_1345
    ここ、Passage Gallary Vivienne.は現役バリバリ。パリのみなさんの生活に必須な通りのようでした。
    Img_1346

  • 巴里見聞録(その49)

    Img_1329
    Passage Jouffroyのむかいにあったパッサージュは、Passage des Panorama
    パリで最古のパッサージュだったんですね。オープンは1800年。
    こちらのパッサージュはレストランがならんでいるパッサージュでした。
    Img_4853
    お昼をすぎてしまったけど、まだ、昼食前だったので、レストランを物色。少し見て回ってからお店を決めることにしました。その中のひとつ、Canard & Champagneに入ることにしました。Canardって鴨のことですよね。うっかり、忘れていました。
    20180924101
    テラス席と屋内席があったのですが、ギャルソンサンの目が届くのは屋内の方だろうと読んで、屋内に入ることにしました。3人ですというと、紙を短く刈り上げサクサク動くベトナム人系ギャルソン兄さんが一番奥の席に通してくれました。どこの店も我々を置くに入れるんですね、日本人だからかしら?
    周りは近所の事務所で働いている方々の様子。お昼休みは2時まで組と、二時半まで組みがある様子。二時半を過ぎると、店内、だいぶ空いてきました。
    Img_1332
    ギャルソン兄さんに三人バラバラのオーダーをしたから、混乱させてしまったかしら?
    娘さんは鴨肉のハンバーガーランチを注文。
    Img_4854
    かみさんは、ランチのサーモンを、私は、ランチのサーモンと白ワインと、デザートを注文。
    20180924102
    デザートに頼んだ料理は、娘さんと私で違いました。私はチョコレートムース、娘さんはソルベ。ソルベのシャーベットは不思議な味がしました。ハーブが混じっているのだと思います。後味が爽やかでした。
    Img_48572
    チョコレートムース、こってりと、ココアパウダーがのっていて。美味しゅうございました。
    Img_1334
    ここのトイレは地下1階。チョークで書いた落書きがたくさんありました。よく見ると、チョークが置いてあって、落書きを進めている様子。ここは、フランスの数学の大家、デカルト、オイラーに経緯を表し、オイラーの公式を書いてきました。あれ?オイラーはドイツ人だったかしら?
    そう、この店、シャンパンのリストがしっかりしていました。それはそうか!シャンパンの店ですものね。ここで、この店のもう一つの自慢は鴨,Canardと気がつくべきでした。テラス席では、老夫妻がゆっくりランチを赤ワインを飲みながら楽しんでいました。肉を食する事を大事にしてるんだなあ、と思いながら、老夫妻を眺めていました。彼らが食べていた肉、ずいぶん赤身の肉だなな、とボーッとみていました。いや、あれが、鴨肉、Canard、ここの店の名物料理だったのんですね。サーモンもハンバーガーも美味しゅうございました。この店、もう一回、来てみたいです。柱の木目に歴史が刻まれていました。釘穴や扉をとりつけてあったちょうつがいの跡とかが判るんです。今度こそ鴨肉をたべなきゃ。ここだったら、鴨のコンフィもあったのかしら?じゃない!鴨のコンフィが名物料理の一つだった。あーーーー。

  • 巴里見聞録(その48)

    Img_1322
    Passage Jouffroy,ここはまさにラビリンス。迷宮に迷い込んだように、目がクラクラしました。時代がとまっているような、おもちゃ箱をひっくり返したような感じ。
    個性的なお店がならんでして、おもしろくて、いつまでも見続けられます。雑貨はかりだけど、その一品一品が輝いていました。決して、すべてが新品というわけでもないのですが。
    Img_1323
    娘さんが行きたかった店は”Paris est toujours Paris“.というなの雑貨店。こういう感覚は日本人もフランス人も一緒なんだなあ。と、思いました。ベレー帽をかぶったおじさんが丁寧に挨拶してくれたのも、このお店。わざわざ、名刺までいただいたもの。ベレー帽は従軍した際に、軍で配給されたものです。と、説明いただきました。
    Img_1325
    そのとなりの “Pain d’Epicies“も楽しいお店でした。
    Img_1324
    Doll house用の小物が沢山おいてありました。
    Img_1327
    この写真の置くに写っているHotel Chopinはブラタモリでタモリさんが階段でこのパッサージュの地下にある通路に降りるときにお邪魔したホテルです。この写真には写っていませんが、ケーキ屋さん“Le Valentin”のショーケースに沢山スイーツがならんでしました。本当においしそうでした。日本人のパティシエさんも働いていらっしゃるようです。
    Img_4849
    そうそう、この通りでみつけたお菓子屋“La Cure Gourmande”さん。ここで、おみやげ用のクッキーとカリソンを買いました。店員さんが女子大生くらいの女の子。この子にも丁寧に対応してもらいました。あれ、ここ鉄板のお土産屋さんだったんですね。
    Img_4851
    Passage Jouffroy、とても名残惜しかったのでしたが、そのむかいもPassage。おもしろそうなので、むかいのPassageに渡ってみることにしました。

  • 巴里見聞録(その47)

    Img_1321
    Lafayetteでお買い物のあとは、Passage巡りをすることにしました。最初の目標はPassage Jouffroy。Lafayetteからはオスマン通り/Boulevard Haussmanをまっすぐ進むだけだし、歩く時間も数分のようだったので、そのまま歩いてみる事にしました。さすがはパリの銀座、人の出が賑やか。お店もLafayetteの周りは観光客目当ての店が多かったものの、少し歩くと落ち着いたCafeもありました。おっと、スターバックスもありました。
    オスマン通りをあるいていると、ちょうど、建物と建物の間から、サクレ・クール寺院が見えた場所もありました。こういう所のように、近くの建物の間から、遠くの建物が重層的に見えるのがパリの風景を面白くしている気がします。これもオスマン知事が手がけたパリの都市計画による意図的なものなんでしょうね。

  • 巴里見聞録(その46)

    Img_1320
    Galeries Lafayette Etagé 5は文房具売り場。まさに、横浜高島屋さんの感覚が通用しました。ただ、入っているモノが、日本のものよりもセンスがいいものは多いように見えてしまいます。フランス人のこのデザイン感覚の高さは、どこから来るのでしょうか?
    不思議です。
    知りたいです。
    このフロアーから降りるとき、エスカレータ横でかわいいBluetooth Speakerを見つけました。“LEXON MINO”。日本でも普通に売っているだろう、日本に戻ってから買えばいいやと思い、買ってこなかったのですが、さにあらず。日本には、まだ入っていないメーカーのようです。後でわかったんですが、このスピーカー、ニューヨークのMOMA近代美術館のミュージアムショップでMOMAコレクションとして販売されているほど、デザイン性をみとめられた代物。
    帰国後、Amazon.co.jpでも楽天でもみあたらず、うーむ。そうだ、Go Globalとおもいたち、Amazon.comのサイトを検索し商品を発見。Click!。発注。北米のAmazonの物流センターから日本の我が家にUPSで届きました。9/26に発注。9/29に到着。4日!すごいです。世の中のスピードが全く別次元になっていることを実感。
    かたや、Galeries Lafayetteも、この階まで上がってくると、人もまばら。デパートという業態が世界中で曲がり角、うまくいっていないということなのかなあ?と、思いました。デパート、大好きなのになあ。
    Img_1435

  • 巴里見聞録(その45)

    Img_1318
    Musée de l’Orangerie からGaleries Lafayetteまで、Bus42号線に乗って、Concorede Cours la ReineからChaussée d’Antinまで移動。バスは平日のビジネスアワーで混んでいるパリのと真ん中をガンガン飛ばします。それに負けず、周囲の車もガンガン割り込んできます。しかも、車の横をママチャリ仕様の自転車に乗ったマダムがスイスイと走って行く!オペラ座の横を通り抜け、あっという間につきました。
    バスから降りると、そこはGaleries Lafyetteの真ん前。いろんな人が歩いています。多様性の爆発です。ゆえに、セキュリティもマックス!Gallary Lafyetteの入り口にも、スーツをきたゴツいセキュリティ係のおじさんに、
    ”おまえのsac à dosé/リュックサックの中身を見せろ。”
    と、よびとめられました。
    Galeries Lafayetteの1階は化粧品のテナントばかり。そこをあるいているのは中国人ばかり。中国語ばかりがきこえてきます。東京銀座三越と同じ風景。見上げると天窓がキレイにデコレートされていました。5階くらいに登ってわかったのですが、この天窓。太陽光を取りいれている本当の天窓ではなく、LED照明をバックライトにつかって光らせている構造でした。エスカレーターを使って、上の階にのぼってみました。どの階に何があるのか?なんか、日本のデパートと同じ感覚。というか、日本が真似をしているのでしょうね。
    Img_4835

  • 巴里見聞録(その44)

    Img_1316
    オランジュリー美術館からバスに乗って、Gallary Lafayetteに向うことにしました。バス停でバスを待っている間、周りをウロウロしました。コンコルド橋のたもとで、皆さん、写真を撮っています。
    どこを撮っているのだろうと、カメラの方をみて驚きました。おお、アレキサンドル三世橋、エッフェル塔、そして、青空に浮かんだ雲のバランスがよく、まるで絵葉書です。おもわず、一枚パチリとさせていただきました。ここ、絶景ポイントでした。どうも、パリにはこういう絶景ポイントがある気がします。しかも、意図的に作られた絶景ポイント。
    さて、バスがきました。Gallary Lafayetteにむかいましょう。

  • 巴里見聞録(その43)

    Ccc
    ようやく、オランジュリー美術館で一番有名な、モネの睡蓮の絵とご対面です。
    25年ぶりの再会です。オランジュリー美術館は1999年に改装を開始、2006年に改装を終え、1階に睡蓮の間nympheasができたんですね。25年前と比べるとずいぶん明るくなった気がします。ひょうたんのような楕円形の空間が二つ繋がっている形状。無限大、インフィニティ?つなぎの2間を使い、蓮池の一日の様子、朝、昼、晩の時の流れが描かれていました。
    睡蓮の絵を観ている人が多く、モネは今とても人気があることがわかりました。
    Bbb
    これでは、モネのほんものの蓮池があるジベルニーは相当混んでいるんでしょう。今回は、旅程の都合がつかず、ジベルニー訪問を諦めましたが、いつか、行きたいです。
    モネは、睡蓮の絵をどうやって描いたのでしょうか?絵に近づいて、絵そのものを見ていると、油絵の具がのたうちまわっているだけで、けっして、睡蓮の花には見えません。でも、少し離れて、絵を見ていると、それが睡蓮の花に見えてくるのです。ふしぎなものです。おもしろくもあります。人の目の認識のくせを利用しているのでしょうね。絵が写真と違うのは、こういうところなんですね。人は何を見ているのか?絵を描く人と絵を観る人は、同じ作品を同じように観ているのか?表と裏のように見分けているのか、見分けられるのが画家なのか?
    1920pxmuse_de_lorangerie_plan_ensvg

  • 巴里見聞録(その42)

    Dsc_0009
    オランジュリー美術館に入館した私.地下の階の展示ルームから観ることにしました。この地下ルームに、ピカソ、モディリアーニ、セザンヌ、ルノワール、マチス、それにマリーローランサンやユトリトの作品がありました。みなさん、お久しぶりです。お元気でしたか?
    セザンヌの”Paysage au toit rouge ou le pin d’Estaque/赤い屋根のある風景あるいはレスタックの松の木”。一般的には、どこの風景を描いたかわからないとされているが、私にはピンときた。これは、セザンヌのエクスのアトリエの庭から見える風景に違いないです。実際この風景を見てきましたから。レスタックの松は想像の産物かも知れませんが。
    ユトリロの”Rue du Mont-Cenisモン・スニ通り”。サクレ・クール寺院の裏、クリニャンクール地区の坂。ユトリロがよく知っている近所の坂。彼にとってはこれが彼の世界。彼は生涯の間、どこまで移動したことがあったのだろう。遠い異国の東洋人が、この絵を見るとおもって、この絵を描いただろうか?プーシキン美術館にも似た作品がある。
    オルセーでピカソを観たせいか、今回は、ピカソが非常に気になりました。“Femmes à la fontaine/水浴する女たち”などなど。
    オランジュリー美術館というとモネの睡蓮の絵の美術館といわれるけど、私にとっては、これら印象派の作品との出会いの方が印象強い美術館です。