
ビル・アケム橋を渡り、Port Debilly/Pont d’iéneの交差点からAvenue de NewYorkを渡りました。おっと、左側から自動車が接近。ここはフランス、車は右側通行。ゆえに、車は左側から近づいてくるのです。
トロカデロ庭園に到着。トロカデロ庭園では、カルーセルが営業中。誰も乗っていなかったけど、可搬式なんでしょうね。コンサート・イベント用の足場が組み立てられ始められていたのか?クレーン車をみかけました。どうもどこでもクレーン車を見かけます。

シャイヨー宮のテラス、ここ、25年ぶりに来ました。当時は、ローラーブレードをはいたお兄さん達がたくさんいて、この広場で遊んでいました。
みなさん重い思いに写真を撮っていました。
お父さんお母さんが、お子ちゃま二人、お姉ちゃんと弟を写真に撮ろうとしていました。お父さんがカメラマン、お母さんが横でみていて、兄弟を撮影中。お姉ちゃんと弟、仲がよさそう。お姉ちゃんが弟の方に近づきパチリ。その横では、ラテン系のお母さんとお子ちゃま2人の三人組。自撮り棒で撮影。お母さん、顔をつくりますなあ。エッフェル塔、あるよあるよ。お兄さん。ここにもいましたね。

海洋博物館・人類博物館を横に見て、RATP–トロカデロ駅/Trocadéroにおり、六号線に乗車。Ch de Gaulie Ètoile/凱旋門に向かしました。ここまでは、道順を間違えず、順調にすすんだのですが。
投稿者: howdi
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巴里見聞録(その31)
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巴里見聞録(その30)

ビル・アケム橋を歩いている時、歩道に書かれた標識を不思議に思いました。

自転車専用レーンの標識?自転車も乗り込んでいいの標識?わかりませんでした。どうも自転車専用レーンの標識だったようです。ビル・アケム橋の1階部分は自転車専用になったいたようです。知らないのは観光客ばかりなり。
近年、パリは、循環社会をめざし、市内全域において自転車専用道路の整備を実施してきました。La piste cyclable à Paris.その結果、エコモビリティでは有名な都市だっだようです。パリで自転車道の整備が本格的に始まったのは1995年。後に大統領についたジャック・シラク・パリ市長時代に助役を務めていた元パリ市長のジャン・チベリ(Jean Tiberi)氏が推進。
パリ市の面積は、ペリフェリークの外側にあるブローニュの森とヴァンセンヌの森を除けば約87平方キロメートル。東京山手線内側の63平方キロメートルをやや上回る広さ。市内で完結する移動の多くは三キロメートルにとどまるはず。ならば、自転車で置き換えようとチベリ氏は判断。
1995 年当初8.2キロメートルしかなかった自転車道を、二年間で100キロメートルにする計画を市長就任時に発表したそうです。でも、自転車利用拡大の契機になったのは、1995年冬、年金改革に反対する公務員が三週間にわたりじっししたストライキ。上がさわいでも、人民が受け入れない限り本物にならない国。

2018年現在、約350キロメートルまで規模が拡大されました。(PDF版)レンタサイクルも歴史が長いようで、Velibの前進として、ル・リーブル(Roue Libre)というRATPが運営するレンタサイクルが存在していたそうです。

どおりで、ビル・アケムの道路を、電動キックボードにのったお姉さんが走り去っていけた訳です。
日本では、自転車が歩道を走っていたり、車道を走行していたり、自転車専用道という概念がない気がします。日本では、政治家の谷垣さんをはじめ、自転車の事故が絶えません。かたや、パリは、自転車専用道路が拡大されても、自転車事故は増えていないそうです。合理的な考え方をするフランス人の勝利かな?
こんどこそ、パリを自転車で走ってみたいです。
<参考>
■Paris à vélo
■carte des stations
■Piste Cyclable et Station Vélib de Paris
■le plan vélo de Tibéri (1996)
■パリの自転車レーンを走ってみた -
巴里見聞録(その29)

Pont de Bir-Hakeim/ビル・アケム橋。ここ、REPが上を走っていて、人がその下を歩く橋。昔は、パッシー橋 (Pont de Passy) と呼ばれたが、第二次世界大戦でフランスがロンメル将軍のドイツ北アフリカ軍団と戦い3000人以上の犠牲者を出したビル・アケムの戦いを記念するために改名されたそうです。
ここも、エッフェル塔の絶景スポット。人が大勢いました。かたや、商用写真を撮影されているかたもいらっしゃいました。すばらしくビビッドな緑、ルビー色を着て、頭にターバンのようなものを巻いたモデルさん二人が撮影中。モデルさんの腰の位置がものすごく高かったです。人間じゃないみたい。

街灯ひとつとってもエレガントですな。

橋の上で、エッフェル塔と反対側を見ると、セーヌ川の右岸、左岸で建物の様子がずいぶん違いました。左岸は、高層のコンクリートビルがニョキニョキ。右岸は少し山の手なのでこじんまりしたお屋敷が多いです。昔、アランドロンとカトリーヌ・ドヌーヴが出演している映画で、ここを舞台にした映画を見たことを思い出しました。
橋を渡りきると、皆さん、そのまままっすぐ、坂を登っていきます。ずいぶん急な坂。何があるのかわからなかったけど、Google Mapでみつと、地下鉄駅Passyがあったみたいです。我々は、トロカデロをめざし、セーヌ川沿いを歩きました。Port Debilly、ここから観たエッフェル塔も美しい。
エッフェル塔、どこからでも絵になります。富嶽百景ならぬ、エッフェル塔百景の撮影になってきました。

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巴里見聞録(その28)

さて、エッフェル塔の真下に到着。この日は朝から天気が下り坂だったのですが、まだ、エッフェル塔の足下から青空が見えました。これでも気持ちの良さそう。

でも、エッフェル塔に来たからにはエッフェル塔に登る。そんな、タイプではないのが我が家。おしゃれなお土産屋さんを発見、そちらにゴーです。フランス人は商魂たくましいですな。何にでもエッフェル塔を印刷すればいいのですかね。こういうところは日本も一緒だなあ。
アンオフィシャルなエッフェル塔売りのお兄さんも沢山いました。腕にエッフェル塔の束を巻き付けて、
”はい、いらんかえー”
と、言っています。だいたい、アフリカ系か中近東系の顔立ちをしているお兄さん達。国が乱れたので、フランスに移民してきたけれど、国で着いていたような仕事につけず、こんな稼業で生活しているのでしょうか?EU移民問題の現場状況を初めて体感しました。この物売りのお兄さん達、ちょくちょくフランス警察当局に摘発されているようです。やっぱり、Made in Chinaらしい。こういう非公式おみやげお兄さん、ゲリラ的に活動するだろうから、根絶は難しいんでしょうね。
【参考】
■パリ警察がエッフェル塔ミニチュア20トン押収、不法移民に売らせる
■Paris police take down knock-off Eiffel Tower network
もう一つのお土産屋さんを見て、エッフェル塔の足下から移動。エッフェル塔からPont D’Iénaを渡り、Palais de Chailllotを越え、Place du Trocadéroへ進む25年前のルートで歩きたかったのです。が、エッフェル塔はバリケードに完全に囲まれていて通過不可。不便になりました。
エッフェル塔の周りをほぼ半周し、Avenu Gustave Eiffelにでました。予定にはなかったのですが、同行していた娘のリクエストで、ここから、近い、Pont de Bil-Hakeimにむかうことにしました。娘さんが、TVドラマ&映画「のだめカンタービレ」のファンで、映画のなかで千秋様が走っていた橋、Pont de Bir-Hakeimにむかうことにしました。
結局、これが、災い転じて福。
その1,Stade Émile AnthoineよこのAvenue de Suffrenneと Rue de Buenos Ayresの交差点からエッフェル塔を見上げると、建物と道路とエッフェル塔のバランスがすばらしい格好のビューポイントを発見しました。ここ、道路になんかアイコンが埋め込まれていた気がします。

その2.Port de Suffrenというセーヌ川沿いの道を歩いていたら、エッフェル塔がきれいにみえるポイントをみつけました。

その3,エッフェル塔のそばにあると聞いていたMaison de la culture du Japon à Parisé・パリ日本文化会館を発見。たしかに、そばにジャポニスム2018のポスターがありました。ジャポニスム2018、日本と仏国が仲良くなり、フランスと日本との最初の条約、日仏修好通商条約が調印されたのが、明治時代の始まるちょうど10年前の1858年。日仏友好160周年を記念してのイベント。ここで若冲展を開催されていました。

とセーヌ川沿いを歩き続け、Pont de Bir-Hakeimの袂に到着です。 -
巴里見聞録(その27)

エッフェル塔にむかって、シャン・ド・マルス公園内を歩きました。ここは、舗装されていない砂道。
ますます、エッフェル塔が近づいてきます。周りでは観光客が写真撮影のまっさかり。アジア系ばかり目立ちました。ヨーロッパ系の人たち、アメリカも含め目立ちません。25年前に、ここを訪れた時は、ヨーロッパ系の人たちばかり。2列縦隊で歩くドイツ人、道幅一杯に広がりペチャクチャ大声を出して歩くアメリカ人、一人静かに歩くイギリス人。そんな風景でした。ずいぶん、変わりました。これも世界がConnect したグローバリゼーションの影響でしょうか。その恩恵を最も受けたのが中国ということなのでしょう。もちろん、自撮り棒でiPhone,Androidを操作する人なんか誰もいなかったです。
いっぽう、ジョギングしている人を沢山、見ました。遠くで、アナウンスの声が聞こえました。何かスポーツ大会を開催している様子。後ほど判ったのですが、この日はマラソン大会Paris-Versaillesが開催されていたそうです。今年で41回目。エッフェル塔からスタートしヴェルサイユ宮殿にゴールする16kmのコースをはしるそうです。今年は約2万人が参加した様子。
シャン・ド・マルス公園からまっすぐエッフェル塔の下にいけませんでした。グスターヴ・エッフェル通りにバリケードが張り巡らされていました。足下は、ビールの王冠が沢山ころがっています。昨日は、ここでもTechnoが開催されたのでしょうか?広場のハシを進み、エッフェル塔友の会てきなノボリをすぎると、セキュリティ待ちの行列が見えてきました。25年前は、こんなところにセキュリティがあったかしら?セキュリティといっても、にわか作りではなく鉄骨とガラスを組み合わせ、かなりRobustなゲート。テロ対策のようです。“Eiffel Tower perimeter fence built to stop terrorism”
カバンを下ろし、中身をみせて、入場です。
Connecitivity and Security、一つの事の表と裏です。 -
巴里見聞録(その26)

さあ、バスに乗りましょう。
と、そのまえに切符を買わないと。
初めてパリに来たときに、同行してもらった当時イギリス在住だった先輩に教えてもらったカルネを思い出しました。たしかに、カルネはバスにも使えるようです。カルネをゲットしましょう。
ということで、地下鉄のRude Dde Bac駅に入り、販売機にトライ。
でも、画面にタッチしても操作できませんでした。ふとみると、画面の下の鉄の丸い棒がコロコロ廻ります。しかも、左には赤いボタンが、右には青いボタンがついていました。これで操作できそうなことを発見。画面のにらみながら購入手続きへ。初めはフランス語の勉強のためにフランス語の画面を見ていたのですが、らちの明かない様子を見ていた、娘が途中から強制介入。強制的に画面を英語版に切り替え、サッサと現金で購入。
今時は、切符の買い方を写真付きで教えてくれるサイトもあるんですね。
■パリの地下鉄メトロ切符の買い方・乗り方
■パリ地下鉄 切符の買い方まとめ 写真で順に解説!

では、
路線番号:69番Champ de Mars。
乗車パス停:Rue du Bac René cher。
下車バス停:Chanp de Mars-La Bourdonais。
の旅。

目的とするバス停は、たばこやさん兼ホテルの前にぽつんとありました。
で、このバス停が賢い!次のバス、次の次のバスが何分後に到着するかバス停の上部に表示されていす。あと何分と相対的に表示するところがフランス流。
しかも、バス停にQRコードが記載されています。スマートフォンで読み込むと、そのバス停の路線図が表示され、このバス停はなんというバス停か、目的地まで、いくつバス停を通過しなければいけないか、などが難なくわかります。
すばらしい!

フランスのバスは右側通行。なので、立って待っているとバスが左手からやってきます。しかも、右側から乗り込みます。なんか、不思議な感覚。
バスにのり、カルネを改札機に通して乗車手続き完了。バスの中はきれいだし、シートのデザインはなかなかおしゃれでした。けっこう、乗っている人もいました。でも、パリのバスは暴走車両。街中をビュンビュン飛ばします。柱に捕まっていないと振り回されるくらいです。
でも、バスでの移動はなかなかいいです、窓越しにパリの街の様子がよくわかり、自分の体感感覚に刻まれます。そう、その昔であれば、馬にひかれた馬車に乗っている感覚。聞こえてくるのは、蹄のおとではなく、エンジンの音ではあるけれど。バス邸に近づくたびに、バス邸の名前を告げるアナウンスがあるのもありがたい。とても早口だけど。
バス停Esplanade des Invalidesで、急に視野が広がり、青銅の大砲が並んでいるのがみえました。アンバリッドでした。フランスが仲のよかったのは薩摩藩ではなく、徳川幕府。こういう大砲が長州、薩摩を狙っていたのでしょうね。お台場や、浜離宮とか。バスは、グルネル通りRue du Grenelleを直進し、ブルドネ通りAv.de la Bourdonnaisで右折、ジョセフ通りJoseph BouVardへ左折し、終点Champ de Marsに無事到着。
バスをおりて、周りをみおろしました。
おーーーーーー!です。

目の前に、とっても大きいエッフェル塔が見えました。良い眺めでした。トチノキ?かプラタナス?だいぶ葉が秋色に色づいていました。 -
巴里見聞録(その25)

三日目の朝。
今日はバスにのって行動範囲を広げることにしました。どこに行こうか調べたところ、昨日、トイレをかりるために立ち寄ったRue de Bac、Le Saint Germainそばの停留所からバスにのれば、乗り継ぎなしでエッフェル塔そばまで行ける事がわかりました。
Le Saint Germainをめざし、昨日、ホテルに戻った道を思い出しつつ歩きました。ふと、ランドマークになりそうな像を見つけました。そのときは、写真を撮って終わりでした。帰国後、写真をみても場所を思い出せません。よくみると、像の後ろにお店の名前と通りの名前も見えました。これらを手がかりにGoogle mapで検索。
ここは、2 Rue de Sèvres, 75006 Paris, Franceという住所でした。
Rue du Sèvres,Rue du Cherche-Midi, rue du Four, rue de Grenelle, そしてrue du Vieux Colombierが交わる交差点。ミシェル ドゥブレ広場/赤十字交差点”Place Michel-Debré/Carrefour de la croix rouge”と呼ばれているそうです。
25年前に購入した日本語の緑ミシュランにこの交差点に関する記述がありました。
“古い言い伝えによれば、サン・ジェルマン・デュ・プレ教会が建つ前、ここに古代エジプトの女神イシスを祭った神殿があったという。この異教の思い出を消し去るために、16世紀にこの辻に真紅のキリスト受難像が建てられた。そこから赤十字という名前がついた。”
どうも、いわゆる赤十字社とは関係がないようです。※今でもミシュランのwebページに記述がありました。
広場の名前、「ミシェル・ドゥブレ」はシャルル・ド・ゴール大統領の下で、国防大臣や1959年から1962年まで第五共和政において最初の首相を務めた人物にちなんだもの。※参考
この広場は、パリの人にとっても気になる広場らしいです。
像の名前は、”Anciennes Granges aux Malades de Naples(ナポリ病(梅毒)患者のための古納屋)”。別名“Le Centaure de César(セザールのケンタウロス)”。Césarは有名な彫刻家。この像の試作版が、サザビーズのオークションにかけれらていました。フランスのみなさんもこの像が面白いと言っている様子。確かにケンタウロスと言われてみればそうだけど、もちょっと若いケンタウロスの方がかっこいいんじゃないかな?
像の後ろにあった、お店はアパレルショップのColiséeと、Comtesse du Barry。Terrineが美味しそうです。像の真後ろが、地下鉄からの通気口のようになっていたので、きになりました。ここ、昔は、地下鉄駅Croix Rouge駅の入り口だっだそうです。
※参考:LE SECRET DERRIÈRE LE NOM DE LA STATION CROIX ROUGE/赤十字駅の名前の背後にある秘密
さすが世界の都パリ、広場、像、通りの、一つ一つに深く長い、歴史が眠っています。
この日の朝食は、Le Saint Germainで朝食セット。
“Bon jour!”
“Troi petit déjeuner, s’il vous plaît.”
“D’accord.”
なんて、やりとりを昨日のギャルソンさんと交わした後、朝食セットをいただきました。
・パン(クロワッサン&バゲット)
・オレンジジュース
・カフェオレ
の三点セット。
パリのCàfeで朝食を。
かな。。。。。。。。。。

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巴里見聞録(その24)

この日の夜は、ちゃんと外のレストランで食べることになり、近所のレストランを物色。結局、部屋に備えつけのおすすめレストランリストから、Chez Fernandを選択。
ここ、おお当たりでした。

予約なしで訪問したのに、通してくれた席は店の奥の静かなコーナー。店の中は、私たち以外は、英語、フランス語を話す年配の方々が数人しかおらず、とても、家庭的な雰囲気で、くつろげました。

目の前には今日のメニューのボード。
表がフランス語、裏が英語の記載でした。
注文したのは、
・前菜は、インゲンのサラダ
・メインは、ブフ・ブルギニヨンとツナのクリーム添え
・デサートは、クリーム・ブリュレ
・そして、なにわなくとも、赤ワイン

赤ワインで乾杯して、すぐ、前菜のインゲンサラダが到着です。旬なのでしょうか、美味しい。

さあ、メインのブフ・ブルギニヨンが到着です。二人分が一つの鍋に入ってきました。お肉、国の中に入れると、ホロホロと崩れていきます。ソースもフォン、赤ワイン、ブーケガルニなど、素材同士のバランスがよく。
うまし!

ツナのクリーム添えの方も、優しい味で絶品でした。

デザートのクリームブリュレ。ちょっとクリームがゆるかったかな?でも、おいしくいただきました。

満腹、満足。私たちがそろそろお暇する時間には、みなさん、宴もたけなわ。
フランス語でワイワイ賑やかでした。

ごちそうさまでした。おやすみなさい。
■Chez Fernand
13 RUE GUISARDE – 75006 PARIS
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巴里見聞録(その23)

Le Saint GermainからHotelに戻るまでは一苦労。
”We’ve lost”
パリの街中で迷子になりました。
モバイルルータを成田から持参していったので、Café Saint Germainの席からGoogle Mapにアクセスし、帰り道を調べました。徒歩で10分程度とのこと。が、このあたり、方向感覚が通用しません。
道路が交差点で直交しないので、交差点で次に選択すべき道を度々、誤りました。

帰国後に、撮影した写真を見直しました。”ロチューのカップルを写真に撮っている場合ではなかったです。Hotelのそばの教会、St Sulpiceが、きちんと、奥に見えていました!”
なんたる不覚。
冷静に振り返るに、Le Saint Germain>Rue du Bac>Rue de Grenelle>Rue Saint>Boulevard Saint Germain>Rue de Rennes>Rue du Vieux Colombier>St.Sulpice>Hotel La Perleと歩き廻ったようです。

St Sulpiseが私たちの守護神だとおもいはじめました。中世パリのセーヌ左岸、高い建物が他にはなかったでしょう、St. Sulpiseはその姿もユニークなので、遠くからもその姿を見間違えることもなかったはずです。 -
巴里見聞録(その22)

次なるターゲットは、Rue de Bacの地下鉄駅そばのMONOPRIX。狙っているお菓子HAIRIBOオランジーナ味は見つかりませんでした。
MONOPRIX
Rue du Bac, 75007 Paris, France

季節柄、きのこ/Champignonsを棚に山盛りして売っていました。フランスの方もきのこを好きなんですね。
おっと、あれ?
お腹の調子が、、、、
午後、ルーブル美術館の中を歩いている時からお腹が重いなあ、とは思い始めていました。そう、ルーブル美術館でも午後はトイレに入る回数が多かったです。この日の朝まで、お通じがよろしくなかったので、タケダの漢方便秘薬を三錠飲んだのです。効き過ぎました。
Urgence/緊急事態!!!
地下鉄Rue de bac駅にトイレはみつからず。その先、Raspail大通りのMONOPROXにもトイレは見つからず。これはお金を払ってカフェに入るしかないと覚悟。そばに見えた、Le Saint. Germainに入りました。

This photo of Le Saint Germain is courtesy of TripAdvisor
すぐ、ギャルソンサンが出てきて、
”お客さん何名ですか?
”と人数を聞きにきたギャルソンさんに、
“Ou sont la Toilet?”
と、緊急事態を訴えました。この言葉だけは100%通じます。
“Comme ça!”
と、2階を指さされました。教えてもらった、2階のトイレに直行!!!
ほっーーーーーーーーーー!!
助かりました。
きれいに清掃されていました。パリでトイレを捜すときには、公衆トイレやそれに準ずる大規模店をあてにするよりも、カフェを当てにした方が発見率は高いです!これ、絶対の鉄則。
お店の奥くまったボックス席に案内され、
”はい、食事のメニューです”
と、食事のオーダーを聞きにきただろうギャルソンさんに、申し訳ないですが、飲み物だけを注文した次第。後で、知ったのですが、ここは、カフェというよりブラッスリーとして有名なところ。結構、料理が美味しいそうな。隣の席に、ベビーカーを引いた若いお母さんとお子ちゃまと、そのお姉さんとお母さんが座られていました。そういうこと、だったんですね。
出直してきまーす。
Le Saint Germain
62 Rue du Bac, 75007 Paris, FRANCE